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今の時代に本当に必要だと思っている音楽指導の在り方〜序章〜

あなたはいつ、どこで音楽と出会いましたか?

物心ついた時、私は吉幾三さんの曲をカラオケで完璧に歌いこなしていた。こぶしをまわし、時折がなり声を入れ、屋根を突き抜け天に昇っていくような声で歌う父をじっと見つめていただけだった声松少年が、ある日突然叔母からマイクを渡されたのである。

イントロが流れ出すと、叔父が私の両脇を抱えて黄色い瓶ビールケースを逆さにした即席ステージの上に乗せた。

集まっていた親戚たちが一斉に、いいぞ!と拳を上げたり、指笛を鳴らしたり、盛大な拍手を送ってくれた。

まだ3歳ながらにとても嬉しく、そしてなんだか恥ずかしかった。

もちろん練習したことなど一度もなかった。でも、父のそれを聴いてきたし、モノマネができるくらいに歌詞やメロディーは意識しなくても歌えるくらいになっていた。

歌い終わると、私は「ありがとうございました。」と深々とお辞儀をした。

鳴り止まない拍手とみんなの笑顔が、たまらなく嬉しかった。

もしこの経験がなかったら、私は音楽を仕事に選ばなかったかもしれない。何を隠そう声変わりと同時に、救いようもないくらいの音痴になったからだ。

極端に声が低くなり、今まで通り歌おうとすると声がひっくり返り、音程が取れない。

中学の頃の合唱祭は、音程が外れている人を血眼で探す同じクラスの同級生たちから逃げるように、3年間ずっと指揮者に立候補してやり過ごした。(それほど、私の中学校では合唱祭が盛り上がっていた。)

ある日流行っていたGLAYの新曲を無意識に口ずさんだのを機に、ひっくり返りまくる上にか細い声を聞いた友人たちが校内で「声松の真似」を流行らせた。

授業中も、休み時間も、ランチルームも、すれ違う度に。いつも誰かに笑われているような気がして、学校に行くのが嫌になった。

でも私は、歌うことが好きだった。大好きだった。あの日、瓶ビールケースの上で浴びた拍手と、みんなの笑顔がずっと忘れられなかった。

誰の目も耳も気にせず歌えるのは(二段ベッドの下で眠る妹を起こさないように)、枕にタオルを埋めた時だけ。今考えると、ある意味それ自体が【練習の積み重ね】だったのかもしれない。

当時は年に何度か、校庭を使ってPTAバザーが行われ、そこで陸上部の顧問がギター弾き語りで校歌を歌った。なんでも、【イカ天】に出たことがあると話し、生徒たちも”なんだかわからないけどすげぇ”と目を輝かせてステージに見入った。

私はというと、その先生の姿を見ながら「これだ…!」と心の中でガッツポーズをしていた。根本的な目立ちたがり屋でモテたい盛りの声松少年は、歌がダメならギターを弾きゃええやんという、安易かつめでたい発想で一発逆転を確信した。

帰宅後父に、うちにギターなんて無いよね?と聞くと、あるよ。と。想像していたエレキギターとは違ったが、昔バイトして買ったんだぞと物置の奥で誇らしげな父から奪い取るように受け取ったのは、一本のクラシックギターだった。

それからは、周りが驚くほど夢中になった。ギターを抱えながら飯を食い、トイレと風呂と寝る時以外は肌身離さずギターを持っていた。

2週間ほど経ち、父から伝授された禁じられた遊びという曲を半分まで覚えたところで、路上ライブをしようと思い立った。

昔ながらのチェック柄ギターケースを片手に持った私は、丘サーファー状態で練習だけしてきたギター初心者にはいるはずもないファンが追いかけてきたらどうしようとか、帰り道におっかけがたくさんついてきたら困るから車で迎えに来てもらった方が安全だとか思いながらJR津田沼駅に向かい、意気揚々とギターケースを開き、お待たせしましたと言わんばかりに覚えかけの禁じられた遊びを弾き続け、一人も立ち止まる人が現れなかったのに何故か手応えはしっかり感じて帰宅した。つくづくめでたい少年である。

その後、父からコード弾きで弾き語りをしてみてはどうかと提案される。ここでまた、【歌うこと】と出会い直すことになった。

正直、人前で歌うことにはトラウマ的な抵抗があったが、「お前は地声が低いから、弾き語りなら歌いやすいキーに変えればいい」ということを教わった。と同時に、この瞬間私の快進撃が始まったのだ。原キー以外存在しないと思い込んでいた私の世界が一気に拓き、光り輝く未来に目を細めた。それも、ビールケースの上から見た景色から始まり、散々笑われて俯いたまま過ごしていた日々と、枕に顔を埋めながら熱唱したGLAYと、突然出会ったギターと、市立船橋高校時代に私の歌を見そめてくれた某吹奏楽部の顧問。その後出会った仲間たち、これらすべてのことが繋がって、私に今、生きる希望を与え続けている。

私は、【音楽と出会う場所】を作りたい。小さな子どもから大人まで関係なく、たくさんの人にその後の生きる希望であり、理解者であり、最愛の友人でもある音楽と出会って欲しい。

そして、音楽の楽しみ方とは?向き合い方とは?学校教育とは違う(決して否定しているわけではない)音楽と出会って欲しい。本当はもっと自由で、もっとそのままで良くて、もっと柔軟で、もっと突然で、ドラマがあって、感情にまみれているはずだと思わずにいられない。

これまで出会ってきた人の全てを音楽家と置き換えた時に私がどう考えているかを密かに綴って残しておこうと思う。

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